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2004年1月17日 (土曜日)

成人式再考

去年も一昨年も成人式について書いたので、同じことの繰り返しになるので今年はふれまいと思っていた。
でもやっぱりこの話題にふれてしまうのは、私の雑文のネタがないという理由だけでなく、やはりこれを目にした未成年の人に少しでも成人式のことについて自分自身の考えを持ってもらいたいからだ。

とはいえ、何人の人が見るかもわからないので大勢に影響は及ぼさない戯言に過ぎないだろうけど。
さて、毎年エスカレートしている新成人の傍若無人な成人式の振る舞いについては、テレビのニュースなどで目にしていることだろう。その振る舞いを全国ニュースで流すということ自体がその振る舞いを増長させているのは言うまでもないことだと思う。有識者の意見で成人式をやめるべきだとか、いろいろな意見もあるが、まずテレビニュースでの放送をやめることが第一だと思う。

次に、騒がしかったり式典が荒れたときは中断する。騒がしい会場の中でお偉いさんたちが前もって用意した原稿を読んでいたが、あれだけ荒れている式場で「私には君たちの目が輝いて見えます」とか「輝かしい新成人の門出を祝福して」とかどう見ても挨拶を聞いていない会場で、喋っているのは滑稽を通り越して哀れですらあった。騒がしいのは一部の新成人だけ大多数はそうではない、とそれもわかるが、騒いでいないだけで真剣に挨拶を聞いている人の数は騒いでいる人数よりもさらに少ないように思える。
だから、成人式でくだらない演説や挨拶など止めろという気は私にはない。
そういう、くだらないことにつきあうこと。それこそが大人になったということであると思う。
だからくだらないことでも、無理して付き合いなさいと説教するつもりはさらさらない。そういうくだらないと思うことを自分の意思で、拒否できるのが大人なのだ。
くだらないけど出なければならないなら我慢して最後まで付き合うし、自分の考えに正直な行動をとってもいいのだ。
自分の責任において自由な行動をとるということが、大人であるということだと思うし、いやいやながら付き合うときはその場にあった対応を取るというのが大人というものである。
臨機応変、その場にあった対応と自己責任が私の考える大人の姿である。前に座っている新成人がいかなる行動をとろうが、新成人を褒めたたえる原稿を読み続けるのは大人の姿をとっただけの頭の固い奴には、もう一度大人とは何なのか考えてみてくださいと言いたい。
そういう人の考える大人とは、おそらく権威と自己保身と建前本音を使い分ける大人なのだろうが、反面教師として自分の未来を成人式でもう一度考えてはどうだろうか。

この記事は『長いのぼり坂  長渕剛』を聴きながら書きました。(iPod1417曲からシャッフル中)

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