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2004年6月18日 (金曜日)

人を見る眼

その人がどんな人なのか、つきあってみなくては本当のことはわからない。
つきあってみても、その人のことが本当にわかっているかどうかはわからない。
最近特に感じるのは自分の人を見る眼のなさであります。
いい人だと思って、信頼していた人が本性を現した時、それはおそらく本性を現したのではなく、今まで自分が気付かなかったのだろうなぁと後からわかって苦い思いをおもいっきりしているのです。

例えば、昔から付き合いのある会社の社長さん。取っつき悪い人だけど親しい人にはよくしてくれる社長さんで、幸いにも私も可愛がっていただき、いい人だとつい最近まで思っていました。
が、金の切れ目が縁の切れ目という言葉を地で行く人だということが判明。
こちらの会社からの仕事が最近無くなったら、よそで我が社の、そして私の悪口を大声で言っているそうです。
言いたいことがあるのなら直接こちらに言えばいいのに、よそで悪口を言いふらしているというのがろくでもない奴だと思う所以ですが、その社長付き合いがあちこちにあり影響力が強い。

その影響力のおかげで以前は我が社もいいこともあったのですが、反転。おもいっきり悪い影響を受けています。銀行の支店長まで自宅に呼んで我が社の悪口を言うなんてことをしていることが今日わかってショックを受けています。
いったい私が何をした!
いろいろと考えてみたのですが、向こうから被害を受けたことはあってもこちらから向こうに何かをしたということは思い当たりません。
どう考えても思い浮かばないのです。


そう、そういえば思い出しました。
私がその社長と出会った頃、よく寄った席でこれまで付き合いのあった会社のどこがためだったのか得々と説明(説教)してくれました。思えば、あれはその社長のこれまでつきあっていた会社の悪口だったわけです。
そうか、今度はうちがその番なのか。
納得です。
あの社長は、これまでも次々と取引先を替えてきました。より大きな会社へ、より大手へと。
今度はうちが捨てられる番だったわけです。
もはや私の会社との付き合いの価値もなくなったので、次の会社に自分がいかに有能で以前の会社をどうして切り捨ててきたのかをとうとうと説明しているのでしょう。
つまり、それは私の勤めている会社と付き合いのあった私に対しての悪口に他なりません。

そうだったのです。

私の立場が変わっただけで、あの社長はいつもと同じ事を繰り返しているだけ、悪気は全然無いのでしょう。

人を見る眼がないと思うのはこんな時です。
人の悪口をあれだけ言う人が、自分にとって今後どんな人になるかわからなかった。

人の悪口を言う奴は元々嫌いなのですが、ビジネス上のやり方の食い違いという説明から入ったので悪口だということに実感がわかなかったわけです。

やはり、人の悪口を平気で言い続ける奴にろくな奴はいないというのを再認識。
それに乗せられてしまう自分を反省する今日でした。

この記事は『非因果的連結  さだまさし』を聴きながら書きました。(iPod1458曲からシャッフル中)

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